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【珠玉の名作】一度は見ておきたい映画「マグノリアの花たち」あらすじ・ネタバレ

アカデミー賞の行方が話題に上る季節となりました。受賞作はもちろんですが、ノミネートされるだけでも素晴らしい快挙であり、時に、受賞を逃したもののノミネートされたことをきっかけにその作品、出演者が注目されることも大いにあります。

今回ご紹介する「マグノリアの花たち」は、1989年のアメリカ映画で、原作者ロバート・ハーリング氏の実の妹であるスーザンと、その母親の物語であり、戯曲としても有名です。


(出典元 ソニー・ピクチャーズ エンタテイメント)

また、映画版では往年の大女優が名を連ね、また、売り出し前であったジュリア・ロバーツの出世作にもなっており、彼女はこの映画で、アカデミー賞の助演女優賞にノミネートされています。

アメリカのいい意味でも悪い意味でも保守的な街の、平凡な人々の数年間に起こる出来事を静かに綴った群像劇。

古い映画ですし、知らない方も多いかもしれませんが、人生で一度は見てほしい映画のひとつです。

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<予告(英語版)>

映画マグノリアの花たちのあらすじ

舞台はアメリカ、チンカピンという架空の街(モデルはルイジアナ州ナッチトッチスという街)です。古き良きアメリカ、といったこの片田舎の小さな町に、1人の若い女性・アネル(ダリル・ハンナ)が越してくるところから物語は始まります。

その日は、イースターの準備と、マリン(サリー・フィール)とドラム(トム・スケリット)の娘、シェルビー(ジュリア・ロバーツ)の結婚式の準備が行われていました。地域の絆が強いこの街では、家でウエディングパーティーが開かれることは珍しくありません。


(出典元:allcinema)

同じ頃、街のトルービィ(ドリー・パートン)の美容室では、先ほどのアネルが訪ねてきます。彼女は美容師で、この美容室で働く予定になっていたのです。この店は、サラ母娘のほか、前町長未亡人のクレリー(オリンピア・デュカキス)、性格の歪んだウィザー(シャーリー・マクレーン)が常連として、友達として頻繁に訪れていました。

年齢も、家庭環境も様々な女性たちが、日々この街のうわさ話や自身の悩みなどを打ち明ける、この店はいわゆる社交場として大きな役割を持っているのです。


(出典元:ルイジアナ州ナッチトッチス公式サイト)

ただ、結婚を控えた娘・シェルビーの母親・マリンには、気がかりなことがありました。それは、娘シェルビーの病気についてです。彼女はⅠ型糖尿病を患っており、妊娠や出産には非常に大きなリスクが伴うからです。

シェルビーもそれは納得していて、結婚相手のジャクソンも理解してくれていました。
しかし、マリンの不安は的中します。シェルビーはやがて妊娠し、生むと言いはじめたのです。

<予告(英語版)>

愛と友情と命の物語

冒頭から、ドタバタコメディの印象を受けますが、物語が進むにつれ、その陽気さが意味することが次第に分かってきます。
これは、小さなコミュニティで起こる母と娘、愛と友情と、そして命の物語です。


(出典元:ソニー・ピクチャーズ エンタテイメント)

ジュリア・ロバーツ扮するシェルビーは、明るく美しい娘ですが、芯の強さを持ち合わせており、体のことを心配する母親・マリンを悩ませます。
美容室では時に、母と娘が口論になりますが、周りの友達がうまくそれをかわすシーンがたびたび出てきます。

本当に信頼しあった関係でないと火に油を注ぎかねませんが、シェルビーの発作も実際に見ている彼女たちは、マリンを支え、シェルビーの良き理解者としてそばに居続けます。

いつも陽気にうわさ話に興じながらも、心のどこかに「やがて来る悲しみの時」を気に掛けるマリンに、決して悟られないけれど、みんな同じ気持ちを共有しているのでした。

表面的には、無礼で下品なウィザーも、実は誰よりも繊細な気遣いができる人であったり、何でもないように振舞う人々の思いやりや愛に溢れていて、その一つ一つがグッとくるわけです。

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マグノリアの花たちの見どころとネタバレ

些細な部分からクライマックスに至るまで、名作である理由と私のおすすめシーンをいくつかご紹介します。

大物女優の存在


(出典元:2017 Time Inc. Lifestyle Group.)

「マグノリアの花たち」には、サリー・フィールド、シャーリー・マクレーン、オリンピア・デュカキスなどアカデミー賞女優が顔をそろえています。当時はほぼ無名のジュリア・ロバーツも、後にエリン・ブロコビッチで主演女優賞を獲得していますよね。

群像劇ですので、主役、という存在はないのかもしれませんが、やはりシェルビーを中心にストーリーが作られていますので、当時のジュリア・ロバーツには相当なプレッシャーであったようです。

その若い彼女を、ベテランの大女優たちが「脇役に徹して」支えたのが、この映画を「名作」に押し上げた大きな要因であると言えます。
脇役であっても存在感がなさ過ぎてもダメなわけで、そのあたりをうまくコントロールして演じることが出来たのも、やはり名女優たちの力量と言えるでしょう。

心開くものは受け入れる


(出典元:Amazon)

アメリカ南部の保守的で、伝統的な街が舞台ですので、よそから移ってきたアネル(ダリル・ハンナ)はオドオドしっぱなしです。

それには実は理由があり、元の夫が「ワケアリ」であったため、もしかしたら受け入れてもらえないのでは、と思っていたからでした。

目ざといウィザーに質問攻めにされ、アネルは正直に、かつおそるおそるそれを告白するのですが、心を開き自分をさらけ出したアネルを彼女たちは快く受け入れました。

人は、たしかによそ者に距離を取りがちですが、それは「相手がよくわからない、知らない」からにほかなりません。どんなことでも、話してくれるということは、よそ者が自分たちを受け入れようとしている証です。

彼女たちは噂話が好きで、時にはブラックなジョークも言いますが、本質の部分は心開くものに対しては非常に友好的な女性、街であるということがよくわかります。

愛しているからこそ、認められない苦悩


(出典元:ソニー・ピクチャーズ エンタテイメント)

物語で常にあるのが、シェルビーの病です。
彼女の体を心配するあまり、娘の妊娠を認めることが出来ない母親・マリン。

クリスマス、母親に祝福してほしいと懇願するシェルビーは、「長い人生より、充実した30分の人生を」とすがりますが、マリンはそれにこたえることが出来ません。

この問題の根本は、「愛」です。母親が娘に抱く「愛」、娘が母親に抱く「愛」。それらは両方とも、「命に対する愛」にほかなりません。

父親のドラムは、心の中は別として娘の妊娠を心から祝福します。このあたりは母親と父親の違いと言ってしまえばそれだけですが、母と娘の絆というものは男性には踏み込めないものなのかもしれませんね。

40年機嫌が悪いウィザー、その愛すべき人柄


(出典元:Rastar Films, c/o IMDB)

作品の中で、脇役でありながらひときわの光を放つのがシャーリー・マクレーン演じるウィザーです。

彼女はこれまでに宇宙で最も最悪なふたりと結婚し、親不孝な子供を3人産んでいる(自身の弁)わけですが、街の人がこんな自分にも親切なのは、「私が神より金持ちだから!」と言い放ちます。

あまりに不健康なその考え方に、マリンは「カウンセラーを」と助言します。怒りっぽいのも良くない、と。

すると、ウィザーは言います。「私は病気じゃない、ただ、40年間機嫌が悪いだけなの!」と。

ウィザーの隣にだけは住みたくない!と思ってしまうわけですが、実はこのウィザー、誰よりも繊細に他人の心に反応します。

シェルビーの妊娠がわかって、みんなが祝福をマリンに伝える中、ウィザーだけはマリンが何を不安に感じていたのかを知ります。みんなは、医者が「シェルビーは妊娠できない」といったと勘違いしていましたが、ウィザーは「妊娠するのを控えるように」と言われていたことをしっかりと把握していました。

だから、マリンの気持ちがわかったのです。

また、いつもの軽口をたたくのと同じに、「早くくたばりたいわ!」と言いますが、その後、シェルビーが腎臓移植を受けることを聞き、自分の軽口を深く悔やみます。スーパーでクレリーと買い物をしながらその気持ちを伝えるシーンは、ウィザーという人の本質が垣間見え、決して神より金持ちだからみんなが親切なのではないということがここでわかります。

悲しみも、喜びも、全てを共有できることの素晴らしさ


(出典元:Rastar Films, c/o IMDB)

よく、悲しい時にそばにいてくれる人がいないのは辛いことだと言います。
しかし、本当につらいのは、嬉しい時に一緒に喜んでくれる人がいないということです。

悲しい時は、人は特に親しくなくとも「人としての礼儀」で悲しみに同情します。それがたとえ共感でなくとも、同情は得ることが出来ます。

しかし、幸せを我がことのように受け止めてくれる人が、家族以外にいる人は実は少ないのではないでしょうか。

この物語に出てくる女友達は、年齢も生活スタイルも違うけれど、全ての出来事を心の底から我がこととして共有し、共感しています。そこに嘘や体裁は見つけられません。

良いところも悪いところも、不幸も幸せも全部まとめて受け入れてくれる、それこそが素晴らしき友情と言えるのではないでしょうか。

悲しみの底での、あえてのユーモア

シェルビーは腎臓機能が悪化し、昏睡状態に陥ってしまいます。回復に望みを託して、毎日娘のそばで語りかけ、目を覚ませと言い続けるマリンでしたが、残念ながら回復の見込みは途絶え、生命維持装置を切る決断をします。

男兄弟と父親が耐えきれず病室を出る中、娘の心臓が止まるその瞬間を、母親マリンは見届けるのです。

葬儀の後、マリンはそれまで抑え込んでいた感情を爆発させます。当初、私は娘が生まれて死ぬまでを見届けられた幸せな母親だと、冷静に言いますが、突然、「おかしい!なんでこんな目に遭うの!あの子の息子は、素晴らしい母親を知らずに育つのよ!母親がどんな犠牲を払ったか・・・神様どうして!!!」

泣きわめきながら、かと思うと「大丈夫、心配しないで」と友人らを遠ざけます。おろおろするクレリー達でしたが、マリンの怒りは収まりません。


(出典元:Rastar Films, c/o IMDB)

「この怒りを誰かに思い知らせたい!!誰かを殴りつけてやりたい!」

そういった瞬間、クレリーは「この人を殴りなさい!」そういってなんとウィザーを差し出します(!)。あっけにとられる一同、抵抗するウィザーを羽交い絞めにし、「あんたも少しは人の役に立て!」と叫んでマリンに殴るよう言います。

もう訳が分かりません。いい年をした中年の女性たちが、墓場でわーわーキャーキャー叫んでいるのです。
あっけにとられたマリンの顔から、思わず笑みがこぼれ、そして、ウィザー以外の全員は大笑いするのです。

マリンの感情が頂点に達し、そして昇華した瞬間でした。

このシーンのマリン演じるサリー・フィールドの演技はすさまじいものがありました。次から次へと押し寄せる感情を完璧に演じ切っています。
ちなみに、1人へそを曲げたウィザーですが、クレリーがしっかりフォローしていますのでご心配なく。

辛くても悲しくても、時間は流れる

この物語は、愛と友情と絆の物語と先に書きました。
もうひとつ、当たり前のことだけど忘れがちで、とても重要なことがこの物語にはあります。
それは、「時の流れ」です。

悲しみがあると、まるで時が止まったかのように、毎日毎日が辛く沈んだものになってしまいます。
しかし、時は確実に流れています、それは年齢もお金も性別も地位も全く関係なく、どの人にも平等です。


(出典元:Rastar Films, c/o IMDB)

時の流れは、人々にも変化をもたらします。オドオドしていたアネルは、毒舌ウィザーに言い返すほど強くなりますし、家庭の悩みを抱えていたトルービィ夫婦も、シェルビーの死を機に歩み寄ります。犬猿の仲であったマリンの夫・ドラムとウィザーの距離も少しだけ縮まったようでした。

そして、アネルがこの街にやってきたのと同じイースターの季節、アネルの子供が生まれそうになります。
彼女はマリンに「女の子だったらシェルビーと名付けたい」と申し出ていました。

季節は巡り、愛する人の姿は消えても、悲しい出来事があっても、人は強く生きていきます。こうして、時は流れていくのです。

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この映画は古い作品ですがなかなかの名作です。

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のどかでノスタルジックな音楽と、アメリカの伝統的行事やブライダルスタイルなどストーリー以外にも見どころが満載です。
ジュリア・ロバーツの若々しい演技もぜひ堪能してください。

人生においてみるべき映画のひとつです!

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