【感想】わかってても泣ける!名画「I Am Sam(アイアムサム)」が教えてくれること
(出典元:U-NEXT)
泣ける映画は数ありますが、それにも種類があります。
たとえば悲劇的な結末のものであれば、どんなに素晴らしい作品でも二度と見られない、そんなものもあります。
私個人でいえば、「ライフ・イズ・ビューティフル」は泣けるというよりも辛すぎて見るに堪えず、今後も絶対に見ないと決めている映画です。
そうではなくて、泣けるんだけど心温まる話、かつ、何度も見返したくなるような映画というと、ぐっと数は減るんですよね。
そんな映画の中から、超有名子役ダコタ・ファニングの出世作「I Am Sam(アイアムサム)」についてまとめました。
I Am Sam(アイアムサム)は、ご存知の方が多い作品ですので、ネタバレというよりはこの映画の見どころや個人的な感想などを中心にまとめています。未見の方はご注意くださいね。
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目次
I Am Sam(アイアムサム)の登場人物とあらすじ
(出典元:© 2001 – New Line Cinema Productions)
サム(ショーン・ペン)は知能が7歳程度しかありませんが、日々スターバックスで仕事をし、周囲の協力を得ながら暮らしていました。
ある時、何らかの事情で関係を持ってしまったホームレスの女性がサムの子供を出産しますが、サムに子供を預けたまま行方をくらましてしまいます。いきなり、赤ちゃんと二人暮らしになったサムでしたが、娘に大好きなビートルズの名曲「Lucy in the sky with daiamond」にちなみ、「ルーシー」と名付けます。子育てと仕事の両立は大変でしたが、向かいのアパートに暮らす外出恐怖症の音楽家・アニーや同じく障害を抱える気のおけない友人たちの支えと助けを借りながら、なんとか暮らしていました。
(出典元:© 2001 – New Line Cinema Productions)
しかし、ルーシー(ダコタ・ファニング)が7歳になり、小学校に上がると、それまで教えてやることが出来ていた宿題がわからなかったり、本に書かれた単語を読めないなど、ルーシーの知能がサムを追い越してしまうようになります。
学校は、ルーシーの教育の面を不安視し、ソーシャル・ワーカーが介入する事態になってしまいました。愛するルーシーとの暮らしを取り戻すべく、サムが頼ったのは「金にならないことは絶対にしない」弁護士・リタ(ミシェル・ファイファー)でした。
(出典元:© 2001 – New Line Cinema Productions)
リタは優秀でしたが、その他人に厳しくお金にならないプロボノ(無料奉仕)の弁護活動を嫌う仕事方針から、周囲のスタッフからは正直嫌われていて、本人もそれをわかっていました。家庭も壊滅状態で、一人息子の育て方にも自信を持てておらず、夫とは離婚寸前でした。
当初はサムの依頼を断るつもりでしたが、周囲によく見られたい気持ちもあり、引き受けてしまいます、もちろんプロボノで。
いつものように仕事を「こなすだけ」のはずのリタでしたが、サムとルーシーの絆に触れるうち、それまでの自分とは明らかに違う気持ちが生まれていることに気づきます。
ルーシーは周りの大人たちが勝手に決めていく自分の居場所に納得が出来ず、ソーシャル・ワーカーやリタを困らせます。サムはなんとかルーシーを取り戻そうと奮闘しますが…
<予告>
見どころと感想
(出典元:© 2001 – New Line Cinema Productions)
ただのお涙頂戴ではない
以前、泣ける映画特集を執筆した際、「子どもと犬と西田敏行は鉄板」と書きました。それに間違いはないのですが、子どもの演技力がモノを言います。
どうしてもわざとらしくなったり、あまりにうますぎて白けてしまうと逆効果にもなります。
日本の子役は特にそれが顕著で、たとえば芦田愛菜ちゃんなどは良くも悪くも「芦田プロ」と呼ばれるほど。寺田心くんなどもうますぎる子役さんです。
でもそれって、言い換えれば他の大人の俳優たちに力がないから、子役が悪目立ちするということでもあると思います。この作品(アイアムサム)で幼いルーシーを演じたダコタ・ファニングは、その可愛らしさゆえに過剰な演技になりはしないかと思いましたが、とても自然で、全くやり過ぎ感がありませんでした。
そして、単なるセンチメンタルな映画にとどまらず、社会が抱える問題や、どんなに社会的に恵まれていても抱えているものがある、決してなにかはかれるものではないのだということをちゃんと伝える内容になっています。
名優・ショーン・ペンの俳優魂
(出典元:© 2001 – New Line Cinema Productions)
2003年の「ミスティック・リバー」と、2008年の「ミルク」で、それぞれアカデミー賞主演男優賞を獲得した世界的な俳優ショーン・ペン。
彼がこの作品で演じたのは、知的障碍者の役でした。正式に、どのような障がいなのかは触れられていませんが、こだわりが強く知能に発達の遅れがみられるという症状です。
その、これといったモデルもない、しかもやり過ぎれば途端にボロが出る、そんな難しい役でしたが、完ぺきなまでに演じ切ったと言ってよいでしょう。
のんびりとして、ところどころ言葉に詰まったりといった話し方は頭に入れておけば出来るかもしれませんが、顔の表情、指先の独特な動き、とにかく何から何までそこに「ショーン・ペン」はおらず、完ぺきに「サム・ドーソン」という男性を作り上げていました。
特に、リタとのぼるシーンでは、リタが電話で夫と口喧嘩をしている後ろで所在投げに佇み、リタが落した上着を拾い上げ糸くずをとり、はたいてきちんと折りたたむなどサムの几帳面な一面をここでもしっかり演じています。
カメラはリタがメインであり、見る人は背後のサムの動きなど見ていなかったかもしれませんが、それでもサムの一面をしっかりと描いていました。
(出典元:© 2001 – New Line Cinema Productions)
一か所だけ、本来のショーン・ペンが垣間見えるシーンがあります。リタの自宅で、法廷用のスーツをまとうシーン、そこだけは、男前のいつものショーン・ペンでした。
綿密に取材や交流をしたうえでの役作りであったわけですが、それでもここまで違和感なくサムを仕上げたその俳優魂には恐れ入るばかりです。
ダコタ・ファニングの最高の使い方
(出典元:©2018 AllMovie)
子役は、残念ながら常に同じ子役ではいられません。その時々の年代に合わせて、変わっていきますよね。
ダコタ・ファニングは、ベストのタイミングで存在した子役と言ってよいでしょう。もう数年、前後に作品がずれていたら、彼女がルーシーを演じることはなく、この作品も、ダコタ・ファニングの女優人生も違ったものになったと断言して良いでしょう。
そういう意味で、ダコタ・ファニングの最初で最後の最高の使い方だったと思います。ちなみに彼女は、この映画に出る1年前に「ER緊急救命室」と「CSI科学捜査班」にゲスト出演していますが、その時もその可愛らしさと卓越し、かつ自然な演技力が話題でした。
随所にちりばめられたビートルズ愛
(出典元:Amazonプライム)
原作者や監督がビートルズを最初から意図的に使おうとしたのではなく、取材した施設の入所者たちがみな、ビートルズが大好きだったということから使われるようになったようです。
作品を彩るビートルズの名曲の数々は、どれもオリジナルではなく複数のアーティストによるカヴァーです。しかし、かえってそれが素晴らしい作品が集まり非常に人気が出ました。
特に、サラ・マクラクランが歌う「blackbird」は素晴らしいですね、心地よい風のように、心に沁みいります。
登場人物の名前にも、ところどころビートルズの曲や名前と被ったものもあり、ビートルズファンには非常に楽しめる内容ですし、そうでなかったとしてもビートルズの曲たちがいかに長い間人々に愛されたかがよくわかりますよ。
子どもの福祉とは何か
(出典元:© 2001 – New Line Cinema Productions)
日本でもアメリカでも、親子間の問題で最優先されるのは「子の福祉」です。
どんなに強い結びつきがあっても、愛し合っていても、その関係が子供にとって好ましくなければ、行政が子供にとって良いとする判断をします。
日本の場合は親権が非常に強いため、虐待などがあった場合でも行政はなかなか踏み込めません。しかしアメリカでは、子どもを数分でも車に1人で乗せていただけでも、逮捕されてしまうケースがあるほど厳しいのです。
この映画でも、根本はその部分で、ルーシーにとっての幸せはなんなのか、が描かれます。
行政が考えるルーシーの幸せは、「年代に応じた教育、適切な生活環境」です。一方で、サムとルーシーが願うのは、「一緒にいること」です。
これは非常に難しい問題で、どちらの言い分も間違っているし、そして正しいのです。
(出典元:© 2001 – New Line Cinema Productions)
確かにサムは、孤立していませんし、薄給ではありますが仕事もしています。住む家も、その性格からきちんと片づけられ、子どもと暮らすには理想的な住まいとも言えます。
しかし、ルーシーは女の子であり、いずれ思春期も迎えます。成長するにつれ、出費もかさんで当然です。いつまでも「楽しいパパ」が全てではダメなのも事実です。
実際に、痛ましい事件ばかりを扱うターナー検事は、「法廷に引き出されるのはいつも子供だ」と憤りますが、それも間違った話ではありません。ターナー検事も、ソーシャル・ワーカーも、そこを心配しているのです。
一方でサムもルーシーも、一緒にいられないことがまったく理解できません。いえ、正確にはきっとルーシーは理解しています。嘘をついてまでサムと一緒にいようとしたりしたのは、本当のことを言ったら終わりだとわかっているからにほかなりません。
「愛こそすべてよ」ルーシーはそういいましたが、現実は非常に厳しい、それは認めざるを得ません。
スターバックスが意味すること
(出典元:© 2001 – New Line Cinema Productions)
サムが働く場所は、コーヒーショップとして有名なスターバックスです。
スターバックスでは現在でもチャレンジ・パートナーとしてハンディのある人を積極的に採用しています。サムも、そうした制度を利用しての就職と考えられますが、こだわりが強くきれい好きなサムは、片付けやマニュアルのある作業が向いていたと考えられます。
そして、もうひとつ。私の完全な個人的な考えですが、スターバックスで日々行われているやりとりが、この映画が持つ理不尽な面を表しているように思います。
スターバックスをはじめ、多くのこのような店では、メインの飲み物を細かくカスタマイズすることが可能ですね。たとえば、牛乳は無脂肪とか、豆乳にしてとか、サイズはこれでシロップ多めとか、シナモンを追加してとか。クリームの量やコーヒーの濃さまで指定できたりします。
サムは毎日、そんな客の要望に応えてきました。しかし、ある時リタと入った食堂で、緑色のライ麦と黄色のコーンが混ざって提供された時、サムは言います。「緑と黄色が一緒になっている」と。こだわりのあるサムには、耐え難いことでしたので、別々にしてくれと「要望」します。いつもスタバで客が自分に言うように。
しかし、店員はけげんな顔をし、リタは「わがままよ」とたしなめます。解せないサムをしり目に、リタは自身のオムレツの注文に「白身だけで脂肪抜きで」と「要望」します。店員は拒むことなく受け入れます・・・
このシーンは非常に意味のあるシーンです。「要望」と「わがまま」の境界線はなんなのでしょう。どちらも同じ「こだわり」です。もしも、弁護士で身なりの良いリタが「豆と麦を別にして!」といったら、きっと店員は受け入れたのではないでしょうか?
サムの勤務場所がスターバックスであることには、このような点を考えることも表しているのではないかな、と思うのです。
人の幸せを、他人は決められないし、決めてはいけない
(出典元:ピンタレスト)
幸せの定義は人それぞれです。お金がありさえすればよい人もいれば、愛する人と一緒にいられることこそが幸せと思う人もいます。
この映画では、ルーシーにとっての幸せを他人が決めようとします。ルーシーの意思は全くなく、アニーはそれを心配だと法廷で証言します。たしかに、裕福な里親に育てられれば、教育や生活は安定するでしょう。しかし、父親と無理矢理引き離されたその心の穴を埋めるために、ルーシーは一生を費やす羽目になるだろう、と。
里親や児童福祉局は、目に見えないルーシーの心より、目に見えるルーシーの表面的な幸せを重視し、里親はサムに対し「あの子を守るためなら何でもする」と言います。
(出典元:© 2001 – New Line Cinema Productions)
一方で、社会的には成功しているとしか思えないリタは、実は自分をひどく出来損ないだと思っていて、いつも傷ついていました。その様子は、たとえポルシェに乗っていようとも、豪邸に住んでいようとも、全く幸せそうではありません。
サムは、確かに知的障碍者であり、社会的には何の地位もお金もありません。あげく、たった一人の娘を取り上げられようとしています。しかし、スターバックスでは同僚や上司からも認められ、常連の客とも良い関係を保っています。頼れる友達(実際には同じ障碍者)もいて、日々の生活は少なくとも辛いものではありません。
このように、人が幸せと感じることなど、他人がどうこう言えることでは本来ないはずなのです。育てる力が不安であるなら、引き離すのではなくどうサポートできるかを考えることの方がはるかに「幸せ」なことです。
ラストは良い意味でよくまとまったと感じます。このラストだからこそ、ホッとするし何度でも見返したくなるのです。
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(出典元:© 2001 – New Line Cinema Productions)
今回は個人的感想が多くなってしまいましたが、俳優陣の優秀さに加え、脚本も非常に良い映画だと言えます。
いま日本では、過去に知的障害を持つ人々に対して強制的に不妊手術をさせたことが問題となっていますよね。
先にも述べた通り、本来他人が他人の人生を断じたり決めつけたりすることは非常に愚かなことです。
サムとルーシーのような親子だっているでしょうし、そもそも人権上、許し難い恐ろしい行為であったことは間違いありません。
しかし。「その時代」で考えた場合、望まぬ妊娠をし、さらには今ほど社会が発達していなかった日本では、サムとルーシーのような生活はまず出来なかったでしょう。周囲の理解も含めて。
そういった意味で、時代が違う以上、今のシステムや考え方を理由に語るのは非常にナンセンスです。
ただ、やはりそれでも思うのです。「愛こそすべて」だと。
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